どうして開運グッズを買い続けるのか?
今日は開運グッズについてのお話しです。
皆さんは開運グッズを持っていらっしゃいますか?
私は以前、開運グッズをやたらと集めていた時期がありました。
御札だったり置物だったり絵とか石だったりと色々ですが、そこそこお金も使いました。
開運グッズなので、当然開運して欲しいと思って買うわけです。
何かいいことが起こるように運が良くなるように、そんな思いからでした。
ですが、開運することなく開運グッズが増えていくばかり・・・

もし開運グッズを買う目的がグッズを買っていい気分になりたいであるならば、私の目的は達成していました。
しかし私は人生を変えたい、何か良いことが起こって欲しい、それが目的だったので、良いことが起こるまで開運グッズを買い続けました。
ここまで読んでいただくとおわかりかもしれませんが、開運というのは何か買えば一発逆転で人生が好転するものではありません。
私は自分の問題を直視せず、開運グッズに頼っていたのです。
自分の人生を開運グッズになんとかしてもらおうとしていたのです。
そもそも本当に開運グッズなのなら一つ買った時点で何かしらの変化が起こって良さそうなものですが、起こらないので買い続けることになります。
その時点で「開運グッズとちゃうやん!」とは気づけず、どんどん散財し続けました。
そもそも開運とは何でしょう?
宝くじに当たること?
嫌いな誰かがどこか遠くにいくこと?
まぁ、宝くじは果てしなく低い確率とはいえ買い続ければいつか当たるかもしれません。
しかし嫌いな誰かがどこかへ行ってくれるのを開運グッズに期待するのは、難しいと思います。
なぜなら、なぜその人が嫌いなのか?に目を向けないと、例えその人がどこかへ行ったとしても、また同じような人が現れたりするからです。
良いことが起こって欲しいと願いながら、今周りにある小さな良いことに気づけないままであれば常に不足がつきまといます。
〇〇さえあれば・・・
〇〇さえいなければ・・・
条件付きでしか自分の幸せを感じられなくなっているからです。

偉そうに言っていますが、これは全て過去の私です。
開運グッズを買い続け一向に人生が良くならないのを痛感して、ようやく気づきました。
まぁそんなことを言いつつも、今でも神社やお寺に行けばおみくじもひきますし、お正月にはお守りも買います。
でもあくまで補助的な意味合いです。
自分の人生の舵取りは自分がするけど、時々神社やお寺に行って感謝と祈りを捧げる。
こんなスタンスになっています。
私たちは生きている以上、悩みは尽きないものです。
心が成長したからと言って悩まずに生きていけるわけではありません。
ただ、何が私を苦しめているのか?を自分でちゃんと見る力がつきます。
そしてどうなりたいのかを考え、そのためにできることは何なのか?を考える力がつきます。
悩み事ができるたびに、自分で解決していく力がつく。
これはこの先生きていく何よりのお守りになるのではないかと思います。

そして、自分の心と向き合えば向き合うほど楽に生きられるようになります(これは本当に声を大にして言いたい)
人生の開運グッズは本当はあなたの心にあるんです。
磨けば磨くほど開運してくれます。
外に何かを求めなくてもちゃんとあなたが持っています。
あなたも心を開運グッズにして人生を変えませんか?