長年の痛みをそっと手放すということ~実家での出来事から
過去の痛みの手放し方を考えるきっかけになった出来事
11月も残すところあとわずか。
個人的には、とても忙しい一か月でした。
仕事をして、紅葉を見に行って、
また仕事をして、また紅葉を見に行って。
いや、どれだけ紅葉好きなん?と
自分でツッコミたくなるくらい。
それはさておき。
もう数年誰も住んでいなかった実家の
「これからどうするか」という方向性が
ようやくまとまり、10月~11月にかけて
何度も訪れては家財道具の整理をしていました。
私の本を読んでくださった方は
ご存じだと思いますが、
読んでいない方のために簡単に説明すると、
私は姉との間に長いあいだ諍いがあり、
私自身の家でもある実家に
入れてもらえない時期が続いていました。
実家を手放す方向になって、ようやく数年ぶりに
中に入ることができました。
誰もいない家に残っていた“止まった時間”
人が住まなくなると家は一気に傷みます。
誰もいない家のベランダは鳩の住処になり、
ベランダは糞だらけ、部屋の中も埃だらけ。
でも、母が寝ていたベッド、
家族で囲んだ食卓のテーブル、リビングの時計。
すべて当時のままで、
まるで時が止まったようでした。
押し入れやタンスを開け、
持ち帰るものを選んでいきました。
長らく開けたこともない箱が出てきた時は、
何が入っているのか少し怖さを感じながらも、
子供の頃に見たような懐かしいものも
見つかりました。

思いがけず再会した“痛みの記憶”
両親が亡くなって何年も経ち、
心の中ではある程度区切りがついている
つもりでしたが・・・
母が忙しい日々の合間に編んでいたレース編みの
テーブルクロスが出てきた瞬間、
思わず泣いてしまいました。
それには特別な思いがあったからです。
私は父と関係が悪く、家の中での味方は
母だけでした。
母と私は共依存的だったと思いますが、
それでも10代半ばの反抗期には
母に当たってしまう時期もありました。
きっかけは忘れましたが、苛立った私は、
母が編みかけていたテーブルクロスを、
怒りに任せてほどいてしまったのです。
普段ほとんど怒らない母が
「なんでこんなことするの」と、
怒りとも悲しみともつかない表情をした瞬間、
罪悪感が胸に重く刺さりました。
母が大切にしているものを
踏みにじってしまった自分を、
私は長いあいだ許せませんでした。
でも反抗期の私は素直に謝ることもできず、
何十年も心の中の棘として残っていったのです。
そのテーブルクロスを、母はその後編み直し、
ちゃんと仕上げていました。
“過去の痛みの手放し方”は、ある日ふと訪れる
今回それを押し入れから見つけた時、
私は10代の自分に戻っていました。
長年、胸の奥で棘のように刺さっていた
罪悪感が、40年を経て
そっと姿を現したようでした。
でもこれは、自分を責め直すためではなく、
「もうそろそろ、この棘を抜いていいんだよ」
という母からのメッセージのように感じました。
距離の都合で多くの物は持ち帰れませんが、
このテーブルクロスだけは
大切に持ち帰りました。
今回、他にも沢山の思い出の品が
見つかりました。
物理的に帰る家がなくなると、
後は記憶だけが宝物になります。
いつかその記憶さえ薄れていくと思うと
寂しさがありますが、それでも今回、
長年の棘だったテーブルクロスと
向き合えたことは、本当に良かったと思います。

私たちはみんな、傷を抱えたまま生きている
生きているあいだ、
人は自分に棘を刺してしまうことがあります。
若かったり、未熟だったりして、
人を傷つけたり、自分を傷つけたりもします。
でも、その痛みに向き合ったら、あとは
「じゃあ、これからどう生きる?」
と、少しだけ前を向けばいい。
自分の中の傷は一度に癒せませんし、
全部を把握することもできません。
それでも坦々と向き合い続けていると、
その時々に必要な癒しがちゃんと訪れてきます。
そして、一つ一つ癒していけば、
気づいた時には、重かった背中の荷物が
驚くほど軽くなっているはずです。
最後に・・・
過去の痛みは、急いで癒す必要はありません。
時間をかけながら、自分のペースで
ほどいていけば大丈夫です。
もし今、「一人で向き合うのは少ししんどいな」と
感じているなら、カウンセリングで
あなたのペースに合わせて伴走いたします。
安心できるペースで、
一緒に心を軽やかにしていきましょう。
もし長い記事が疲れるなと感じたら、
エッセイカテゴリーに短めの文章もあります。
気軽に読める内容なので、
ちょっとした息抜きにどうぞ。
あなたの心が軽くなる一言が
見つかるかもしれません。
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