「どうせ私なんて」その無価値観、どこから来たの?
「自分には価値がない」と感じる「無価値観」を抱えている方は多いです。
今日は「無価値観」はどのようにして生まれるのか?についてお話しします。
無価値観はこうして生まれる
例えば子供の頃、親から「あんたなんか生むんじゃなかった」とか「本当にあんたはダメね」などという直接的な人格否定の言葉がなかったとしても楽しそうにしていると嫌味を言われたり、親に話しかけても邪険にされたり、親が常に(子供に責任がなくても)不機嫌だったりすると子供は無邪気でいられなくなります。
楽しむことに罪悪感を感じたり、親に話しかけるのすら躊躇するようになります。
子供は語彙力が少ないので、自分の感情を上手く言語化できませんが、嫌味を言われる、自分の話を聞いてくれないなどが日常的に繰り返されると、「自分は大切にされていない」と感じるのです。
「大切にされない私」
=「私には価値がない」
=「無価値観」に
なってしまいます。
子供ですから、このような仕組みになっているとは理解できていませんが、心の深いところに自分への無価値観が刻まれます。
自分でもいつからどうして自分に価値がないと思ってしまったのかなんてわかりません。
子供の頃の日々の繰り返しの中で、少しずつ無価値観が強化されたからです。
これといった大きな出来事がなくても日常的に無価値観を強化するような状態が続けば、無価値観という
価値観は立派な信念となるのです。

無価値観の特徴
無価値観の特徴としては
①自己否定
②他人と比較する
③過剰な承認欲求
④無気力
などがあります。
どれか一つあるだけでも生きづらくなるのに、複数合わせ持っていると生きづらさは倍増します。
というか、ほとんどの人は合わせ持っていると思います。
でも子供の頃に刷り込まれた価値観なので、自分でもどうしていいのかわかりません。
「だれでも存在しているだけで価値がある」なんて言われても「いや、そうは思えない」と感じてしまうのです。
無理やりポジティブなアファメーションをして「私は価値ある人間だ!」なんて思おうとしても長年信じて来なかった人にはとってもハードルが高いし、強い抵抗が起こります。
なんでもそうですが、いきなり大きなことをするのではなく、小さなことを習慣化するのが大切なのです。
そもそもこの無価値観だって日々の生活の中で繰り返されたため信じてしまった場合が多いのです。
まずは無価値観を持ってしまった自分を認めてあげるのです。
無価値観を持った自分はそうするしか仕方なかった。
幼少期はそう信じて生きてくるしか仕方がなかったんだと認めてあげてください。
でもこれからは、無価値観を少しずつ緩めて生きていくための選択をしていけばいいんです。
無価値なんて人はいなくて、人は誰でも何者にでもなれるのです(関連記事:何者にでもなれるけど、何者でもない)

話しは少し逸れますが雅楽師の東儀秀樹さんが以前何かのインタビューで、息子さんが小さかった頃「何をしていたとしても息子が話しかけて来たら手を止めて息子の話を聞く」というようなことを言っておられました。
息子にとっての「今」は今この瞬間しかないのでそれを後回しにしちゃいけないといったような趣旨の発言をされていました。
素晴らしいなと思いました。
頭でわかっていても、実際行動できる親はそれほどいないと思います。
東儀秀樹さんは、もちろん息子さんととても良い関係を築いておられます。
何をさておいても自分を優先してくれる父親の姿に東儀秀樹さんの息子さんは自分が大切に扱われていると言葉にしなくても感じたでしょう。
東儀さんのようなできた親は多くありませんので、もしあなたが無価値観を持っていたとしてもそれは決してあなたのせいではなく環境を生き抜くためには仕方がなかっただけなのです。
仕方なくとった手段なので必要がなくなれば手放していいのです。
簡単なことではないかもしれません。
幼少期に刻まれた信念はとても強烈ですが、必ずしも事実ではないし、違う選択肢もあるよね、自分が少しでも楽になるにはどうしたらいいのかなと考えられるようになれば少しずつ手放していけます。
無価値観を和らげる方法
無価値観を和らげるには
①小さな成功体験を積む
②完璧主義を緩める
③自分を受容する
④信頼できる人に話す
などが有効だと言われています。
無価値観を持っている人は、往々にして緊張の強い人が多い傾向にあります。
交感神経優位で不安や緊張が強く、無価値でいてはいけない!と完璧主義でがむしゃらに頑張り、何かしらの不調を抱えている方がとても多いです。
当カウンセリングルームでは、不安や緊張、イライラで固まってしまった体にアプローチしながら無価値観を和らげるカウンセリングを行っています。
あなたも春の訪れとともに、無価値観も手放して生きていきませんか?