生きる意味がわからなくなった日々に、私が選んだ“今日だけ生きてみよう”という道
どうしても生きていくのがつらかった日々
今日は、私自身がかつて体験した、とても苦しかった時期のことをお話しさせてください。
「生きてる意味がわからない」「何の価値もない」
そんな言葉が、毎日のように頭の中でぐるぐるしていた頃の話です。
当時の私は、仕事と家事と介護に追われ、父には休みの日すらゆっくり眠ることも許されず、常に「完璧であること」を求められていました。
何かができていても「当たり前」、できていなければ「なぜできていないのか」と否定される。
どこにも逃げ場がなく、心も体も疲れ果てていました
ただ「生きているだけ」の毎日
限界を超えて仕事を辞め家を離れ、友人の家に身を寄せた私は、「起きて、食べて、また寝るだけ」の生活を続けていました。
やる気も希望もなく、ただ息をしているだけのような日々。
心は完全に止まっていて、何かをしようとする気力も、何かを考える力も残っていませんでした。
「生きてる意味あるの?」と問い続けた日々
そんな生活の中で、いつも頭に浮かぶのはこんな言葉でした。
「生きてる意味、ある?」
「私に、何の価値があるの?」
医師からは「一生仕事はできない」とも言われ、社会とのつながりも自分の役割も感じられない。
まるで世界から切り離されてしまったような感覚でした。
夜が待ち遠しかった理由
いつしか私は、夜になるのが待ち遠しくなっていました。
大量の薬をお酒で流し込み、朦朧とした意識の中で現実を忘れられるその時間だけが、唯一の「安心」だったのです。
おかしいって思いますか?
でも、あのときの私にとっては、“何も感じなくて済む”その時間だけが、救いでした。

朝が来るのが、つらかった
けれど朝になると、また現実の世界に引き戻される。
「まだ生きてる」
「また今日が始まった」
それが、絶望でした。
「とりあえず夜まで生きてみよう」
そんな中で、私が心の中でつぶやくようになった言葉があります。
「とりあえず、夜まで生きてみよう」
“今すぐ死ななくてもいい”
“とりあえず今日は、生きていてもいい”
そう思うことで、なんとか1日を乗り越えようとしていたのです。
「今日だけ生きてみよう」がつながっていった先に
いつしかその言葉は、
「死にたくなったら、いつでも死ねるし、今日だけ生きてみよう」
に変わっていきました。
褒められたことじゃないかもしれません。
でも、あの“低空飛行”のような毎日が、今の私に繋がっていると、今はそう思えるのです。
つらさは、ずっとは続かない
あの頃は、「このつらさは一生続く」と本気で思っていました。
でも、そうじゃなかった。
今、生きている。
自分の足で立ち、心を取り戻しながら、生きている。
それは奇跡のようなことで、当たり前ではない「すごいこと」なんです。
今、生きるのがつらいあなたへ
もし、今この記事を読んでくださっているあなたが、あの頃の私のように「生きているのがつらい」と感じていたら――
どうか、「今日だけ生きてみよう」って思ってください。
何もできなくてもいい。
何かを目指さなくてもいい。
息してるだけで、じゅうぶん。
生きてるだけで、本当にすごいことなんです。

心と体を、少し休ませることを自分に許してね
何もしたくない日があっていい。
布団から出られない日があっていい。
「ちゃんと生きなきゃ」「元気にならなきゃ」なんて、思わなくていいんです。
いま大事なのは、“あなたの心と体が、少しでも安心できること”だけ。
最後に…あなたに伝えたい言葉
あなたが生きていてくれて、うれしいです。
他の誰かがわかってくれなくても、この文章がほんの少しでもあなたの心に触れたら嬉しいです。
自分を責めないでね。
ゆっくり休みながら生きていこうね。
心がつらいときは、ひとりで抱えなくて大丈夫です
生きるのがしんどくて、毎日をやっとの思いで過ごしている・・・
そんな日々の中にいると、自分の気持ちを誰にも話せず、ただただ孤独になってしまいますよね。
私もかつては、そうでした。
でもあの頃、「誰かに話してもいいんだ」と思えたことが、少しずつ自分を取り戻すきっかけになりました。
もし今、同じようにしんどさを抱えているなら、ひとりで抱えこまずに、あなたの気持ちを聴かせてください。
トラウマや過去の傷を抱えたままでも大丈夫。無理に元気にならなくても大丈夫。
ゆっくり、やさしく、心を整えていけるカウンセリングを行っています。
あなたが安心して、あなたらしく生きていけるように。
一緒にその一歩を探していけたら嬉しいです。
もし長い記事が疲れるなと感じたら、エッセイカテゴリーに短めの文章もあります。
気軽に読める内容なので、ちょっとした息抜きにどうぞ。
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