自分に厳しい人が知らない、怒りの正体と優しく生きる方法
怒りをコントロールできなかった20代の私
通勤途中、会社へ向かう朝の電車に乗るために、
いつものように駅へ向かう人混みの中を
歩いていたとき、突然、見知らぬおじさんに
突き飛ばされました。
何の前触れもなく、謝罪の言葉もなく、
ただぶつかられた――その瞬間、
私の中でスイッチが入りました。
気がついたときには、おじさんを追いかけ、
殴り返していたのです。
今思えば、あのときの怒りは、
理性で抑えられるようなものでは
ありませんでした。
自分でも止められない、
まるで反射のような衝動。
頭で「冷静にならなきゃ」と
思うよりも先に、体が動いていました。
もともと私は、若い頃から
「とにかく厳しい」人間でした。
自分にも、他人にも。
たとえば38度の熱が出ても
「それくらいで休むなんてありえない」
と思い込み、無理やり出勤するのが当たり前。
もちろん、そんな状態で働けば
周りにも迷惑がかかります。
でも当時の私は、
「迷惑をかけるくらいなら自分が頑張ればいい」
と信じて疑いませんでした。
だから、自分とは違って
「しんどいから休む」という
選択をする人を見ると、
どうしてもイライラしてしまうんです。
「甘えてる」「怠けてる」――心の中で
そんな言葉をぶつけながら、
自分にも他人にも休むことを
一切許せませんでした。
一見、責任感が強くて
真面目なように見えるこの「厳しさ」は、
実はずっと私を苦しめてきたものでもあります。
少しでも「弱さ」を見せることが怖くて、
自分にムチを打ち続け、
限界ギリギリで立ち続ける。
そうやって長年積み重ねた緊張と怒りが、
あの“突き飛ばし事件”で
一気に噴き出したのです。
あの怒りは、突然生まれたものではなく、
ずっと心と体の奥に溜まり続けていた
「怒りの貯金」が一気にあふれ出した
瞬間でした。

厳しさの根っこには、親の声があった
あの頃の私は、「怠けるのは悪いこと」
「しんどくても休んじゃいけない」と、
本気で信じていました。
それは単なる性格ではなく、
子どもの頃からずっと刷り込まれてきた
“当たり前” だったんです。
私の父はとても厳しい人でした。
どんなに熱があっても
鬱になっても「休むのは怠けだ」。
小さな頃から、そんな言葉を
何度も何度も浴びてきました。
当時の私は、その言葉を「おかしい」と
思う余裕なんてありませんでした。
むしろ、「そうしないと生きていけない」
と信じて、父の言葉をそのまま自分の中に
取り込んでいったんです。
気づけば、それが「私の声」になっていました。
たとえば熱が出ても無理をするのは、
父の声が心の中でこう囁くからです。
「怠けるな」
他人に対して厳しくなってしまうのも同じ。
「そのくらいで弱音を吐くな」
「自分に甘いからダメなんだ」
――そんな言葉を、
父が私に言っていたように、
私も他人に向けてしまっていました。
嫌いだったはずの父と、
気づけば同じ言葉を口にしていた。
この事実に気づいたとき、
私はとてもショックを受けました。
でも同時に、
それは自分を責めるための気づきではなく、
長い間「父の声」を自分の声だと
勘違いしていたことを知る
きっかけにもなりました。
自分が自分を責めているつもりだったけれど、
実はずっと、父の価値観が自分の内側で
再生され続けていただけだったのです。
この「内なる声(インナーボイス)」に
気づくまでは、怒りも、厳しさも、全部
「自分が悪い」と思っていました。
でも、そうではなかった。
自分を責めてきた声のルーツがわかると、
怒りや厳しさの正体が少しずつ
輪郭を持ちはじめました。
これは、「怒りを消す」という話ではなく、
「怒りを理解する」という視点の始まりです。
怒りの根っこには、
たいてい「誰かの声」が隠れている。
この気づきが、怒りと少しずつ
向き合えるようになる第一歩でした。
「怒りっぽさ」は神経の反応
私は長い間、自分の怒りっぽさを
「性格の問題」だと思っていました。
イライラしてしまうのは自分が未熟だから。
怒りを抑えられないのは我慢が足りないから。
そうやって自分を責め続けてきたんです。
でも実は、怒りっぽさには
「ちゃんとした理由」がありました。
それは――私の神経がずっと
戦闘モード(交感神経優位) だったからです。
小さい頃から「怠けるな」「甘えるな」と
厳しく育つと、心も体もずっと
緊張した状態になります。
のんびりリラックスして過ごすという
感覚を知らないまま、
大人になってしまうのです。
常に「次に何か起きるかもしれない」
「気を抜いたら責められるかもしれない」という
見えない危険信号にさらされ続け、
神経は“警戒状態”をデフォルトに
してしまいます。
この状態が長く続くと、
- 呼吸は浅くなり
- 肩や背中はいつもこわばり
- 無意識に歯を食いしばり
- 少しの刺激にも敏感に反応する
――そんな心身の状態が
当たり前になってしまいます。
例えば、誰かがちょっと肩をぶつけてきたとき。
普通なら「何?ちょっと嫌だったな」
くらいで済む出来事でも、
神経が過敏になっていると
「危険が迫った!」と脳が判断し、
怒りのスイッチが一気に入ります。
怒りは、決して「悪い感情」ではありません。
本来、危険を察知したときに
自分を守るための大切な反応なんです。
ただ、そのスイッチが
四六時中オンになっていると、
些細なことでも爆発しやすくなってしまう。
これは意思や性格の問題ではなく、
神経の仕組み なんです。
私の場合、20代の頃は
その仕組みを知らなかったから、
怒りが爆発するたびに
「私はダメだ」と責めていました。
でも神経の反応と知ってからは、
「怒りを抑えなきゃ」ではなく、
「あ、今私の神経が危険を察知してるんだな」と
捉えられるようになりました。
怒りっぽさは「欠点」ではなく、
「体と神経からのSOS」。
その視点が持てるようになると、
自分を責める必要はなくなります。
怒りは「自分を守る力」でもある
おじさんに突き飛ばされたあの朝。
あのとき、私の中で一瞬にして
怒りが爆発したのは、
単なる「短気」だったわけではありません。
あれは、私の 神経と心の防衛反応 でした。
突き飛ばされた瞬間、
私の体は「危険だ!」と判断し、
戦うためのスイッチを全力で入れました。
交感神経が一気に活性化し、
筋肉が緊張し、血圧が上がり、
心拍数が速くなり、まさに“戦闘態勢”です。
怒りという感情は、
危険を感じたときに自分を守るために
立ち上がってくれる 「防衛の力」 なんです。
そしてもうひとつ、
私の中には“怒ってくれたパーツ”がいました。
それは、ずっと粗末に扱われてきた
小さな自分を、必死で守ろうとする声。
幼い頃、無理をしても
誰も助けてくれなかった経験の中で、
「自分を守るのは自分しかいない」と学び、
怒りという形で立ち上がってくれた存在です。
あの瞬間、怒ったのは「ダメな自分」ではなく、
「もう二度と粗末に扱われたくない」と
必死に叫ぶ、私自身の守り手でした。
この視点を持つようになってから、
私は自分の怒りを「敵」と思わなくなりました。
昔は、怒りが湧くたびに
「またイライラしてしまった」「大人げない」
「こんな自分は嫌い」と
自己否定を重ねていました。
でも今は、怒りが湧いたときに
「そうか、私の神経と“守るパーツ”が
立ち上がってくれたんだな」
と、少しだけ立ち止まれるようになりました。
怒りを抑え込もうとするのではなく、
「怒ってくれてありがとう。
今、私は何から守ろうとしているんだろう?」
と自分に問いかける。
そうすると、ただの爆発ではなく、
“自分の感情と向き合う時間”に変わります。
怒りは敵ではなく、味方です。
ただ、ずっと戦闘態勢でい続けると
心も体も疲弊してしまう。
だからこそ、「怒りが出てきたときに、
自分をどう扱うか」がとても大切になります。
怒りを「悪いもの」と切り捨てるのではなく、
「守ってくれている力」として理解することで、
怒りとの距離が少しずつ変わっていきます。
自分を知ることが、怒りの連鎖を断ち切る第一歩
長いあいだ私は、
怒りにふりまわされて生きてきました。
イライラする自分を責めたり、
爆発してしまった自分に落ち込んだり、
周囲との関係をこじらせてしまったことも
たくさんあります。
でも、怒りの正体を「性格」や
「根性のなさ」だと思っていた頃と、
「神経の反応」や「守る力」として
理解できるようになった今とでは、
感じ方がまったく違います。
怒りの背景には、
- 過去の経験
- 親から受け継いだ価値観
- 神経の状態
- そして、自分を守ろうとする力
――そんなさまざまな要素が
絡み合っています。
だからこそ、怒りをただ「抑える」
「我慢する」だけでは、
根本的な変化は起こりません。
まず必要なのは、怒りを通して
「自分を知ること」です。
たとえば、イライラしたときに
「今、私は何から守ろうとしているんだろう?」
「この怒りの裏には、
どんな感情があるんだろう?」
と、少し立ち止まってみる。
すると、怒りの奥にある
悲しみ・寂しさ・不安・恐れ といった、
本当の感情が顔を出すことがあります。
それは、ずっと見過ごしてきた
本当の自分の声 です。
怒りを「悪いもの」と切り捨てると、
ずっと自分との戦いになってしまいます。
でも、自分の怒りを理解し、
大切に扱うことができるようになると、
自分の内側との関係が少しずつやわらぎ、
心の緊張もゆるんでいきます。
すると、他人との関係も変わっていきます。
自分に厳しかった私は、他人にも厳しくなり、
毎日イライラしていました。
でも、自分に優しくできるようになってから、
不思議と他人の「弱さ」や「しんどさ」にも
寛容になれたんです。
怒りをなくすのではなく、
怒りと 新しい関係性 をつくること。
それが、長年続いてきた怒りの連鎖を
断ち切る最初の一歩です。

少しずつ、自分に優しくなっていこう
怒りを理解しようとする姿勢は、
それだけで大きな一歩です。
すぐに完璧にできる必要なんてありません。
「また怒ってしまった」と思ったときこそ、
「今、私の中の誰が
守ろうとしてくれているのかな?」
と問いかけてみてください。
怒りは、あなたの敵ではありません。
あなたの人生を一緒に歩んできた、
大切なサインです。
安心感は「自分を信頼する力」から育っていく
安心感というと、
「誰かに与えてもらうもの」という
イメージを持つ人は少なくありません。
けれども、安心感の本当の土台は
「自分を信頼できる感覚」 です。
たとえば、
- 「私は大丈夫」
- 「ちゃんと感じて、ちゃんと判断できる」
- 「何があっても、私は私を見捨てない」
こうした感覚が、
安心感の“芯”になります。
トラウマがある人は、
過去に「安心しようとしても裏切られた」
「怖い思いをした」という経験があるため、
外の世界を信じにくくなっています。
それは決して「心が弱いから」ではなく、
生き延びるために、常に危険を察知していた
神経システムの自然な反応 です。
だからこそ、
安心感を取り戻すときに必要なのは、
外の誰かを無理に信じることではなく、
まず 自分の内側にある小さな感覚を信じること。
たとえばこんな小さな一歩から始められます。
- 疲れたと感じたら、少し横になる
- 嫌な気持ちを無理にポジティブに変えず、「嫌だ」と認める
- 体が緊張しているときに、呼吸をゆっくり深くする
こうして少しずつ
「自分の感覚を信じる」練習を重ねることで、
神経系は「今は危険じゃない」
「安心しても大丈夫」という
学びを取り戻していきます。
安心感は、誰かが魔法のように
与えてくれるものではなく、
自分と自分の神経との
“信頼関係”を築くことから育っていくもの です。
もし、怒りやイライラ、
安心できない気持ちが日常に
重くのしかかっているなら、
一人で抱え込む必要はありません。
私のカウンセリングでは、
あなた自身の神経の仕組みや、
内側の声(パーツ)の働きを
丁寧に紐解きながら、
「自分を信頼できる感覚」を
少しずつ取り戻すサポートを行っています。
- 怒りやイライラが自然に出てしまう
- 自分にも他人にも厳しくなりやすい
- 過去の経験から安心感を感じにくい
こんな悩みを持つ方も、
自分を責めずに、安心して感情と
向き合える時間を作ることができます。
まずは、あなた自身の感覚を大切にしながら、
一歩踏み出してみませんか?
もし長い記事が疲れるなと感じたら、
エッセイカテゴリーに短めの文章もあります。
気軽に読める内容なので、
ちょっとした息抜きにどうぞ。
あなたの心が軽くなる一言が
見つかるかもしれません。
エッセイはこちら