私を苦しめていたものの正体とは?


今日は私の体験からの気づきです。




私の母は長い闘病生活の間に、ペースメーカーの植え込み手術をしました。

心臓の機能が衰えていた母が、もし大きな発作を起こしたらペースメーカーが察知し、電気ショックを与えて蘇生してくれるらしいのです。

父と姉はそこまでしなくても・・・と手術に否定的でした。

ですが私はなんとしても母を死なせたくないと、手術に肯定的でした。

話し合いがつかず、結局母本人の意向を確かめることにしました。

私は母に「何か発作が起きても器械が教えてくれるし、時には命も助けてくれるよ」と説明し、母は手術をすると決断しました。

器械を体に入れることになるわけですし、手術後の痛みもありました。

ですが当時の私は「母を死なせたくない」一心でした。

姉からはその後何度も嫌味を言われましたが、私は受け流していました。


亀裂




数年後、入院先の病院で母は大きな発作を起こし、電気ショックが発動しました。

電気ショックに大きな精神的なショックを受けた母は、その日からみるみる弱っていきました。

大きな発作が起きた原因は、私は医師が新しい薬の投与をしたからではないかと考えているのですが、でも電気ショックで母が精神的ダメージを負ったのも事実です。

母はその後、数週間で亡くなりました。

姉は私が母を殺したと考えていたようですし、実際そう言われたこともあります。



私自身、ずっと葛藤していました。

「母を死なせたくない」という気持ちは、単なる私のエゴだったのではないか。



私は幼少期から、家庭内で母しか味方がいませんでした。

父も姉も私を傷つける「敵」だと思っていたので、私にとって母を失うということは自分の足元が崩れ落ちるくらいの恐怖だったのです。

私のエゴが、私の母への執着が、結果として母を苦しめ死なせたのではないか?

なんてことをしてしまったんだろう。

ずっとこんな風に考えつつも「でもきっと母はわかってくれている」と思うことで、自分の罪悪感を薄めていました。


葉っぱの露




そんなある日、唐突に浮かんできたのが、自分への赦しでした。

自分の恐れから、母を失いたくないと考えたエゴが悪いわけではない。

確かにエゴや執着があったけれど、その根底にはやはり「母への愛」があった。

出発は「愛」だ。

途中で色んなエゴが纏わりついてきたけど、やっぱり愛なんだ。

人は生きている間にいっぱい間違うし、時には良くない行いもするけど、それで自分を傷つけているのは「自分自身」なんだ。

他人の中傷なんて受け取らなければ流れていくのに、自分で自分を責めて罪悪感をいう毒を盛っていたんだ。

母は私のせいだなんて思っていないし、父はそもそも何もわかっていない(深く考えない)、姉は認知が歪みまくっているのでスルーでいい。

なんだ勝手に自分で自分を傷つけてた。

自分自身のことなら、どんな結果も最善だったと受け止められるようにはなっていたものの、自分にとって大切な人に対しては「全てが最善」だと思えない時、やはり自分を責めてしまっていたのです。



私を苦しめていたものの正体は、自分で自分に与えていた罪悪感でした。


ハート




日頃意識していたわけではなくても、何かの拍子にこのような気づきが起こります。

トラウマというのは生きてくる間に沢山抱えてしまっているので、あえて特定してなんとかしようとしなくてもいいのです。

日々自分を満たし、自分と向き合う作業を続けていれば、人それぞれのタイミングで必要な気づきや癒しは起こります。

大切なのは来るべきタイミングに備え、いかに自分を労い向き合い続ける心の体力をつけることなのではないでしょうか。




あなたは、あなた自身を苦しめているものの正体がわかっていますか?



誰かや何か以外に、自分で自分に罪悪感という名の毒を盛っていませんか?

自分を労い心の体力をつける方法をカウンセリングで一緒に見つけてみませんか?


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